アメリカが、使える核を開発していく、という方針を打ち出したようだ。
トランプ大統領がすることだから、不思議ではないが、さすがに世界の風潮とはかなり逆行するので驚いた。
それより驚いたのが、日本の姿勢。
河野大臣が、このアメリカの姿勢に賛同する姿勢を示したのだ。
日本は、核に対して抑制的な態度を貫いていたのではなかったか?
核については、保有について「議論することさえ」ためらわれる雰囲気ではなかったか?
だからこそ「自由に議論しよう」という意見が聞かれたのではなかったか?
そんな日本で、大臣が一方的に核の使用を緩やかに認める方向性に賛同した・・・普通に考えると、こういう問題こそ解散でもして国民の議論を呼ぶべきではないかと思うのだが・・・
こんなことを考えていて、ふと、「集団的自衛権」の議論の意味が分かった気がした。